沖縄の飛躍発展に向けた提言集

「沖縄の飛躍発展に向けた提言集」は沖縄の著名な先生方や国会議員の先生方をはじめとする12氏が毎月県立博物館・美術館において開催された万国津梁機構の定期講演会において講演した内容に加筆修正を加えて再編集したものを1冊の本として発行したものです。それを約170回にわたって長期連載を2014年12月17日よりインタ-ネットでスタート致しましたので、愛読頂きますようお知らせ致します。

沖縄の飛躍発展に向けた提言集その178
2015/09/25

万国津梁機構第14回定期講演会2回目

(2013年7月20日 県立博物館・美術館)

比嘉幹郎 元沖縄県副知事

対日講和条約

日本は、第2次世界大戦で無条件降伏を受諾し、米国を中心とする連合軍の占領下に置かれました。

終戦から6年後の1951年9月、サンフランシスコにおいて対日講和条約に調印し、その条約は翌年4月28日に発効しました。

これによって、日本と締結国との戦争状態は正式に終結し、日本は朝鮮や台湾、南樺太、千島の主権を放棄し、国際連合憲章を守ることを誓い、独立国として国際社会に復帰しました。

しかし、同条約第3条により、沖縄や奄美大島などは日本から切り離され、引き続き米国の施政権下に放置されることになりました。

第3条は、「国連の委任統治下に沖縄を置くことを(米国が)提案するまで米国が事実上の主権を行使する」というものでした。

当時の米国務長官ジョン・フォスター・ダレスが考案した変則的な条項だと言われています。

先の大戦で日本本土防衛のため「捨て石」として犠牲になり、異民族支配下に置かれたわけですから、県民にとって4月28日は「屈辱の日」と言われており、日本政府が「主権回復の日」として祝うことに違和感を覚えるのは当然でしょう。

講和条約と同時に日米安全保障条約が締結されました。この安保条約の第3条で、日本およびその周辺に配備される米国軍隊の法的地位については別に定めることになっていました。そこで、1952年1月末に日米間の交渉が開始され、同年2月28日に署名がなされたのが日米行政協定で、その正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との問の安全保障条約第3条に基づく行政協定」です。

行政協定も講和条約と安保条約と共に1952年4月28日に発効しました。

このように、これら3つの国際間の取り決めは連結しており、パッケージとなっています。

(平成26年4月2日発行沖縄の飛躍発展に向けた提言集より)

万国津梁機構

概要

万国津梁機構は、人類愛に満ちた平和で豊かで明るい沖縄県の県土づくりを目指します。

↑ページの先頭へ戻る